10年と、ひとつの感覚

ふと数えてみると、金属と向き合って10年が経っていました。
仕事にし始めて8年になります。

ちょっとした区切りなので、ずっと不思議に感じていた制作中の感覚を、書いてみたいと思います。

-- 手を止める瞬間について

制作をしているとき、
ある瞬間に「ここで止めよう」と自然に思えるときがある。
磨きすぎず、削りすぎず、あとひと手を入れる前に立ち止まる完成の小さな合図。

それは好みの問題だけではない。
どこかで、「この形が、これ以上触れられることを望んでいない」と、
気配のようなものを感じる。

私はずっと、この“作業を止める瞬間”に不思議さを感じていた。
それは自分の好みによる判断だけじゃなく、
もうひとつ、言葉にしづらい“何かの基準”が働いている気がしていたから。

最近、その基準の正体が、少しずつ分かってきたかも。

それは多分、言葉にするなら、“色気” のようなもの。
色気といっても、いかにもの“らしさ“とは逆にあるもの。

金属のやわらかな質感、
バランスは整っているけれど、どこか未完成のような形、
肌にすっと馴染んで、つけていて呼吸が深くなるような心地よさ。

色気のあるものを身につけると、不思議とリラックスする。
力がふっと抜けて、自分の輪郭がやわらかくなるような感覚。
そしてそのリラックスは、まわりに波紋のように広がって、
その人の空気全体に、どこか惹きつけられるような魅力が宿っていく。

私は、そういう滲み出るような気配を宿らせたいと思っている。

そして、制作中に「もうこれ以上触らない」と思うあの瞬間。
それはきっと、その“色気”が、ふっと立ち上がった合図なのだと思う。

ジュエリーという物が、自分から離れて「ひとつの気配」として立ち上がる。
誰かの肌の上にのったとき、静かにその人をゆるめて、魅力を引き出してくれる期待。

それが、私の中にある“完成”の感覚なのかもしれない。

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8周年、特にイベントなどは予定していませんが、
制作中の感覚を散文的ではありますが、 書けてよかったなと思います。

こんな風に自分のペースでお仕事できる事が私にとっては何よりで、
お気にかけてくださる方とジュエリーと、ゆっくりと、これからも歩んでいけたらと思っています。


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